縁起の良いお酒で紹介した「開運」ちょこっといただいてきました

実は舘山寺で泊まった宿で

おもいがけず

以前、地酒を含めて地のものを取り入れることで金運アップで

ご紹介した静岡の縁起の良いなまえの「開運」を

味わうことも出来ました。

縁起のよい名前のお酒 開運

この「開運」というお酒を醸している

土井酒造というのは
平成15年~21年の全国新酒鑑評会において、
7年連続金賞受賞という素晴らしい成績を上げてきた
酒造会社だそうで、これほどの連続受賞は

全国で2000社余りもある酒造会社の中でも
わずか十数社程度と言うから、驚くほど厳しい条件のもとで
勝ち得た誉れとだと言っていいでしょう

以前にも紹介しましたが
お酒の名前にもなっていた波瀬正吉(はせしょうきち)。

じつは
能登杜氏四天王であった杜氏さんである
波瀬正吉氏が、この土井酒造の酒造りを担ってきたわけですが

平成21年7月に急逝され
残念ながらこの連続受賞も7回で途絶えることになって
しまったそうです。

しかし、いまでは
地元掛川市出身の自社杜氏に、その思いをつなぎ
勢いを盛り返して来ているようです。
平成23年からは再び品評会金賞の連続受賞が
始まっているそうです。

今後が楽しみです

※この記事を読まれた方は、ぜひ下記の記事も合わせて
読んでみてください。

 

↓ そんな味わいのあったお宿はこちらです ↓

屋上展望風呂飛天で星と夕日の海を望み、日本酒「開運」で開運招福の旅を満喫

初山宝林寺の金鳴石はこんな音を響かせました

佛殿を出て左手方向にすこし進むと

願掛け参拝する「龍文堂」があります

龍文堂

 

龍文坊大権現の額がありましたが

どのようなご由緒があるのか

わからなかったため

お寺のホームページ
http://www.oubaku.org/shosan/rekisi.html

を拝見して納得がいきました。

 

龍文というのはこちらのお寺を開かれた

独湛禅師の一番弟子だった方のようで

ある夜に、裏山に登ったきり

姿が見えなくなっていたのですが

その夜、

京都の大本山萬福寺で火事が起きたときに

「初山の龍文」と名乗る僧があらわれ

鎮火させたというようなエピソードが

あるようです。

それもあって、火事もなく何百年も

初山宝林寺が続いているのは龍文さまの

守護があるからと龍文堂を建てたという

経緯があるようで、もとは火伏せの神として

信仰の対象になっていたようです。

 

龍文堂のご利益としては

火除け・厄除け・開運祈願・家内安全・縁結び

交通安全・学業成就などオールマイティな

ご利益をもたらすものとして

いまも人々の信仰を集めているのだそうです

 

龍文堂の前には2本の大きな杉が

ちょうど神社の鳥居のように

そびえ立っているように見えるアングルがあります

夫婦杉

こちらは

そのたたずまいがひとが寄り添うように

立っているように見えることから「夫婦杉」とも

言われているそうです。

 

龍文堂の右手に金鳴石はありました。

 

見た目はただの平べったい

石なのに叩くと、やや高めの金属音が鳴り渡る不思議な石

(よく見ると文字の一部はちょっと欠けているようでしたが
 「支那金鳴石初山永宝」と彫り込まれている)

が祀られています

もっとも金鳴石の前には

なんということもない小石が並んでいるので

これでたたいても同じようにご利益は

あるみたいでした。

金鳴る 金成る 祈願を込めまして

たたいてみました

お聞きとりになれましたか?

 

たたく石の場所によっても違いますが

ちょっと金属のような音もします。澄んだ音ですね

カンカン、キンキンとも聞こえるかも知れません

 

初山宝林禅寺への行き方は次の通りです

〒431-1304

静岡県浜松市北区細江町中側65-2

 

1.JR浜松駅より国道257号線を北へ16Km  車利用で40分

2.JR浜松駅前⑮番ポール遠鉄バス引佐線、奥山線  渋川線で「石岡」下車徒歩10分

3.天竜浜名湖鉄道「金指」駅下車徒歩15分

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金のなる石(金鳴石)の初山宝林寺を訪ねキンキン祈願の音を響かせてきました

座禅で悟りをひらくのが特徴でもある禅宗では

臨済宗、曹洞宗についで3番目に多いと言われているの

が黄檗宗(おうばくしゅう)です

 

黄檗宗と言えば、お菓子や煮豆に使われる

おなじみの「いんげん豆」の名前の由来である

隠元(いんげん)禅師によって

創建された京都宇治にある萬福寺が大本山になります。

 

黄檗宗というのは唐の僧,黄檗(おうばく)という方が

修行の拠点であったお堂のある山を黄檗山と名付けて

から定まったもののようです。

 

日本の京都の萬福寺のお手本となった

中国福建省萬福寺を敬って古黄檗(萬福寺)という

呼び方もあるようです。

 

管理人はまだ訪れたことがないのですが、

中国の黄檗山萬福寺を模して、明朝様式の禅寺を

隠元禅師とともに渡来した職人さんたちが

つくったのが京都の萬福寺なので

中国風の伽藍たたずむ独特な風景だと言うことです。

 

今回訪れたのは

奥浜名湖のパワースポット

じつは

「お金の成る石」「宝くじが当たる石」として

知る人ぞ知ると言うことで隠れた参拝者の多い

初山(しょさん)宝林寺を参拝して、

珍しい金鳴石(金成る石)の響きを聞いてきました。

 

 

初山(しょさん)宝林寺創建の由来は

頂いたパンフレットによると

江戸時代の初期、寛文4年(1664年)に

旗本金指近藤家二代目当主・登之助貞用(さだもち)の

招きに応じて

先の隠元禅師に随行し日本に渡られた

明国の独湛(どくたん)禅師が開祖ということでした。

それ以降、

金指近藤・気賀近藤両家の菩提寺として

寺領百石を有し、黄檗宗の専門道場として

この地の黄檗文化の中心となって栄えていた

ということです。

立派な山門をくぐると

宝林寺の山門

 

正面にある佛殿は国指定重要文化財だそうで

屋根の葺き方がよく見る日本の寺院のような

ものと違い、茅か杉板なのか区別は

建築に疎い管理人にはわからないのですが

かなり地味な色合い。

宝林寺の佛殿

 

これが

中国明朝風の建築様式を伝えている

貴重な建築物だそうです。

そう言われてみれば

禅宗のお寺の中に、こんな感じのものは

これまで見たことがなかったような気がしました。

中に入ると

正面には本釈迦三尊像(3体)

左右壇上には二十四天像が並んでいて

どれもかなり塗料がはげて風雪に耐えてきた

感がありました。

おもしろいことに、右手一番手前には

関羽帝の像が有り

ひょっとして

横浜の関帝廟に祀られている

あの「関羽」様と同じということなのでしょう

日本と中国の仏教に縁のある尊像が

左右に相対して

並んでいるのはなかなかエキゾチックです

 

 

山門をはいって右手側にある

寺務所であらかじめ

各色の貴石(パワーストーンなのか?)とお守り袋の

セットを販売しているので

好きなもの(色目)を直感でひとつ選んで購入し

境内の龍文堂にお参りをしてから

願い事をしたのち

購入した貴石で

金鳴石をたたくとその願いが叶うと

求めたお守り袋を入れてくださった紙袋には

書いてありました。

(お守り袋は黄金=黄色、白銀=白の2色あります)

 

宝林寺で求めた貴石とお守り袋

 

では

いざ金鳴石にお目にかかりに参ります

初山宝林禅寺

〒431-1304
静岡県浜松市北区細江町中側65-2

 

江ノ島にも金運財運アップにご利益のある銭洗い池がありました

行ってきました江ノ島「銭洗い白龍王」の白龍池

江の島神社で、

近年、

金運財運アップの強力なパワースポットとして

観光客が各地からお目当てにやってくるのが

「銭洗い白龍王」の白龍池です。

ここに銭洗い池があるのです。

 

 

場所はというと

江ノ島に入って、江ノ島名物

エスカー1区の

江島神社辺津宮(へつみや)の向かいあたりに

あります。

白龍池

 

むかしは

江の島の頂上に行くには

数百段の階段をひたすら登っていかなくては

ならなかったのですが

国内初の屋外型エスカレータとして

昭和34年に4つの短いエスカレータを乗り継いで

江ノ島頂上までいくことができる

エスカーができました。

 

この池はエスカー1本目の出口付近に鎮座しています。

 

以前紹介した、

鎌倉市佐助にある宇賀神神社

通称「銭洗い弁天」も

強力な金運パワースポットですが

箱根・鎌倉・湘南の地には

このような金運・財運アップの場所が

多いのはうれしいものです。

 

 

池の正面には「龍神と銭洗い」の立て札があり ご由緒が書いてあります。

 

要約すると

もともと、岩屋の洞窟にお祀りされていた

弁財天と龍神様のおられた場所に

ある霊水で金銭を洗うと金運・財運が向上するという

ご利益で賑わったようですが

近年、こちらの白龍池に移されたということのようです。

 

 

近くには銭洗いにはつきものの小ぶりの竹ざるが おいてありました。

 

江ノ島銭洗いの白龍池と竹ざる

金運・財運向上を願ってさっそく 洗わせて頂きました

 

こちらの池はちょっと変わったところで

龍神様の前方に大きなお賽銭箱がおいてあるので

誰が始めたのか

ここを訪れるひとは、みな運試しのつもりでしょうか

お賽銭を、投げ入れてうまく賽銭箱に入ると

願いがかなうと信じているらしく

チャレンジャーの列が絶えません。

江ノ島銭洗いとお賽銭箱の絶妙な配置具合

 

屋島の土器(かわらけ)投げのように

ここまでおいでとばかりの絶妙な配置。

 

参拝に来られた皆さん、

銭洗いが終わるとついつい

お賽銭を投げ入れるのに夢中になっておられました。

 

管理人は今回、ご遠慮申し上げましたけれども。

 

 

巳(へび)はやはり弁財天様のお使いの動物

ということからか

立て札の中に

「巳の年、巳の日には、ご利益を願うたくさんの参拝者が訪れます」

と書いてあるので

今年の巳の日をきちんと調べてまた来ようと

思いました。

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財運の神・弁財天のおわす、江ノ島を散策してきました

先日

古い昔から海運・漁業の守り神として広く庶民に厚く

信仰されている「江島神社(えのしまじんじゃ)」を散策してきました。

 

実は、お目当てというのが

江ノ島には最強の金運アップのパワースポット!

江ノ島の近くには腰越という土地も有り

こんな伝説があったそうです

 

 

この天女がすなわち福徳財運の神である弁天様らしく

江島弁財天様と龍神様のお話はこの地でずっと伝承されているようです。

 

その名も、裸(はだか)弁財天として有名な「弁財天」はその文字の表すように、

財宝の功徳を持つ「開運福徳」の神社としても親しまれています。

 

江ノ島電鉄江ノ島駅を下車するともうそこには潮風が吹いてきました。

 

 

江ノ電江ノ島駅のカフェにて

 

渡っていくのは江の島弁天橋、橋の長さは約389mもあります。

 

 

いまでこそ立派な鉄橋ですが、もともと木製の橋が架かって
いただけだったようです
明治24年(1891年)頃のことだそうです。

その後、よく台風で流されることが続いていたために

昭和24年にはコンクリートの杭に打ち直され、

昭和28年にはいまのようなPC鋼橋になったんだと

「橋マニア」の友人から聞いたことがあります。

 

 

それまでは、江ノ島は海の潮が満ちてくると

片瀬浜からはとにかく徒歩で歩いて渡っていくしかない

離れ小島だったようで、島に行く手段といえば

舟か人足に背負われて参拝するしかなかったようです。

 

ちょうど
大井川の渡しのような感じだったのかも知れません

 

 

そういえば、人道橋に並行してある

立派な自動車専用の橋は、昭和39年に開催された

東京オリンピックにあわせてつくられたそうです。

 

 

祝祭日・休日には長いクルマの行列ですが
今回はだいぶ空いていましたね。

 

島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命

中央部の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命

北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をお祀りして

総称して「江島(えのしま)大神」ということになっているそうです。

 

江島神社奥津の宮鳥居

 

 

さて、金運アップのパワースポット参拝には行けたでしょうか???

 

そんな場所があるのをご存じですか?

次回にその場所をご案内しましょう

招き猫ゆかりの豪徳寺を訪ね金運招福を願掛けしてきました

世田谷百景のひとつ

招き猫で有名な小田急線の豪徳寺にお参りしてきました。

曹洞宗のお寺さんで立派な門を入ると

これまた見事な松並木の参道が

あり圧倒されます。

いまどき境内に到着するまでにこれだけ

見事な参道がある寺社は少ないと思います。

 

しばらく歩いていくと背の高い山門があり

境内に入ります。

正面には巨大な狛犬と香炉がお出迎えです

 

豪徳寺境内を入って巨大な狛犬と香炉

巨大な狛犬と香炉が現れます

 

社務所でいただいた

まねきねこ(招福猫児)の由来という

まねきねこを求めた時にいただける

小さいリーフレットに書いてあるところによると

こちら豪徳寺は、昔はいたって貧しいお寺であって

雲水修行をしてようやく暮らしを立てるような

日々を送っていたようです。

その当時の和尚さんが猫好きで

自分の食事を分け与え

子供のように可愛がって育てていたのだそうです。

和尚さんが、猫に

「汝わが愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と

言い聞かせたところ

とある夏の日に、

鷹狩の帰り道とおぼしき身分の高そうな武士が

門前に馬を止めて、

「寺の前を通りかかったところ、

寺の中から猫がうずくまり自分たちを

手招きしているのが見えたので不思議に思い訪ねてまいった。

しばし休憩をさせてほしい」と申し出られ

和尚が急いで奥へ招き入れたところ、急に天気が

かわり雷の鳴る夕立になってしまったのですが、

和尚はそれにも動ぜず

お茶をお出しして説法をしたところ、くだんの武士は

いたく感心して

自分は彦根藩第二代藩主・井伊直孝であると身分を明かし

後日荒れていたこの寺に多額の寄進をして

おかげで、豪徳寺は立派な伽藍をもった寺に生まれ変わったと

いうようなことが書いてありました。

この出来事をもって、猫寺とも称されていたようです。

 

後日談として、和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔い、

後世には境内に招猫堂が建てられ、

猫が片手を挙げている姿をかたどった

招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった

ということです。

 

こうしたご縁で

豪徳寺は井伊家の菩提寺となった

といわれています。

その加護を受けいまだに

世田谷の緑の多い土地に多くの

参拝者のあるお寺としてにぎわっています。

 

もちろん

幕末に桜田門外の変で暗殺された

井伊直弼の墓所も

豪徳寺のなかにありましたので

手をあわせてまいりました。

 

井伊家の墓所は

歴代の井伊家の藩士の方々、奥方の眠って

おられるところで

かなりの広さがあります。

 

井伊家と縁の深い彦根城の

築城400年祭キャンペーンで登場した

ゆるキャラ「ひこにゃん」は

どうも、このときの猫の話がモデルになっているようです。

 

さて

立派な仏殿の横にある小さ目のお堂が

招福堂

 

家内安全・営業繁盛・心願成就に

ご利益があるとされている

招福観音をお祀りしています。

 

この招福堂の横にあるのが招き猫の奉納所。

ここにはびっくりするばかりの数のまねきねこが

奉納所の招き猫たち

招福堂横にある奉納所の招き猫の多さにびっくり

 

なんでも

招き猫に願をかけ、それが成就したあかつきには

招き猫を招福堂の横に返納すると

さらにご利益があるんだということだそうで大小さまざまの招き猫の数が

参拝者の多さを証明しているようです。

 

豪徳寺社務所では大きさの異なる招き猫を扱っていました。

 

どのようにすればいいか伺ったところ

「ちょうど、達磨さんを求めるように自分の好きなサイズのものを求め

招福観音で願掛けして

自宅に持ち帰り、大切にお飾りして願いがかなったら、

ご奉納ください」ということでしたので

ちょっと小さめのものを求めました。

 

こちらの招き猫はすべて右手を挙げたものでした。

 

一般的に招き猫の

右手が挙がっているものは金運(お金)を呼ぶ

左手はお客さん(人)を呼ぶと

言われているようです。

 

色もこちらの猫は白いものでいたってシンプル。

白は幸運を呼ぶというそうですし

赤は厄除けや病魔除け

黒は魔よけの意味があるとされているそうです。

そういえば

黒の招き猫と言えば

成田山新勝寺のものが有名です。

 

 

もっとも最近では

ピンク(恋愛招福)

青(安全招福、いや学業向上という説も)

金色(金運招福)

黄色(良縁招福・こちらこそが金運招福という説も)など

さまざまな色のものが作られるようになっているようです。

 

心願成就してまた

奉納所にお納めできることを楽しみにして持ち帰りました。

 

また、こちらの社務所では、

珍しく一年中「福銭」を扱っていました。

 

神社では年末年始のある一定期間しか

お分ちいただけないことが多いのですが

さすがは招福観音さまのお寺です。

 

もちろんさっそく求めました。

豪徳寺招福観音の福銭

豪徳寺招福観音の福銭を求めました

金運招福あれ

 

豪徳寺周辺は他にも歴史的なスポット

(世田谷城址公園・松陰神社・世田谷八幡宮等)

が多く自然の豊かな散策路でした。

 

所在地: 世田谷区豪徳寺2-24-7
(東急世田谷線宮の坂駅下車徒歩5分ほど)

福銭を見つけてご縁と五円玉と運気上昇について考えてみた

 

新年にお参りすると

神社によっては福銭をいただけることがあります。

きょうはコーヒーを飲んでお勘定をする時に

お財布の中から小銭と一緒に

こんなものが手のひらの上にこぼれ出てきました

 

福銭(FUKUZENI)

ご縁のありますように五円玉の福銭です

この福銭

だいたいが、ご縁と五円(ごえん)の音をかけた

語呂合わせなのか五円玉のことが多いです。

五円玉に紅白のあやひもを結び付けて、デコレーションして

ご縁を結ぶ、だから福銭というような感じですね。

じつは、この福銭というのは外国人の方にプレゼントすると

とても喜ばれることが多いのだそうです。

 

管理人のむかしの経験談になるのですが、

だいぶ以前、正月にかけて香港旅行に行った際に

友人から頼まれて、現地でガイドしてくださることになった

かたに、お礼として何か気の利いたものをと考えつめて….

 

せっかくだから、日本らしくて幸運にあやかるものを

と思って

(KAWAIIが日本発キーワードと騒がれていたのもあって)

 

日本の百貨店で、きれいな招き猫の置物を購入して

立派に可愛くラッピングしてもらって持参したんですが

 

なんと

 

現地の百貨店にも金色に塗られた極彩色の

招き猫とか、両手にお札を持った招き猫とかが

ラッキーグッズとしてたくさん売られていて

思わずプレゼントの包みを渡すとき、冷や汗をかいた経験があります。

 

あの時は、扇子とか日本人形とかアニメフィギュア

の方がかえってよかったなと後悔しておりました。

 

そうそう、福銭が外国の方に喜ばれる理由でしたね。

 

 

実は、流通している硬貨に穴あきのものが

使われている国は

ノルウェー、デンマークとか非常に少ないらしいのです。

 

そういえば

管理人も手持ちの外国コインをみたら、8角形のものは

見つかりましましたが、穴あきコインはなかったですね

 

福銭が五円玉であることは

穴あきコインということだけでも珍しいことらしく

さらに、紅白のあや紐(外国の方から見るとリボン?)

でかわいらしく結ばれていると、

興味を示される方が多いのだそうです。

 

英語のそこそこできる友人に聞いたら

その、由来など説明すると、とても喜ばれるそうです。サイズも小さいですし。

 

管理人は翻訳サイトでテキトーに訳してみたのですが

説明するとしたらこんな感じでしょうか

This called it 福銭(FUKUZENI), and although

it is currency of 5 yen which is circulating in Japan,

since pronunciation calls it goen,

it has applied with en of the meaning of forming a connection in Japanese.

It is the coin of better luck good luck.

 

ちなみに、年末になると

先日ご紹介した

銭洗い弁天を参拝して

そのご霊水でご商売で集まった

五円玉を濯ぎ、お清めして

金運招福の願いを込めて、福銭を手作りして

いる方もいらっしゃるそうで

鎌倉散歩の折に

お正月の参拝のあとの食事の精算時には、

運が良ければ(まさに、年の初めの運試し)

いただけることもあるようです。

 

きょうは、お財布にしまっておいた

今年の福銭を見つけて

こんなことを書いてみました。

外国の方にも、福銭をプレゼントしてラッキーになっていただけるのもいいじゃないですか

行くぜ 東北!ってことで開運の小道(径)を歩いてきました

東北の青葉を眺めに行くぜ!東北ばかり

十和田湖を訪れました。

そして

 

東北の霊場として

あまりにも有名な恐山と並ぶ

パワースポットとして有名な

十和田神社に参拝してきました。

 青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた十和田神社

神秘の十和田神社を参拝

ご祭神としては日本武尊(やまとたけるのみこと)が

祀られているのですが

明治以前は自然信仰のひとつである

水神信仰のシンボルであったということで

江戸時代には

十和田山青龍大権現が祀られており、

現在でも奥の院に祀られているとのことです。

十和田神社にはパワースポットとして「占場(うらないば)」が有名です

 十和田神社で「おより紙」をいただき

願い事をしながら占場で湖に浮かべ、引き込まれるように

沈めば願いが叶うとされています。

いまは、占い場への道が険しくて立ち入り禁止になっている

らしくて遊覧船かボートで行くようになるということでした。

 

十和田神社の

縁起には2通りの説があるといわれています。

 

ひとつは

征夷大将軍・坂上田村麻呂創建とされる説。

 

もうひとつは

熊野三山で修行した、この地方出身の修行僧

南祖坊(なんそうぼう)が、

もともとの湖の主であった八郎太郎龍との争いに勝ち

十和田湖を治める主となって

(このために、南祖坊は十和田湖に身を沈め

十和田湖の主たる九頭の龍神になられたとの伝説)

 

人々が、そんな南祖坊を崇め祀ったという説です。

 

そういえば

八郎太郎のお話は、

市原悦子さんの独特のナレーションで

人気のあった、

TV放映アニメ

まんが日本昔ばなしでは「八郎潟の八郎」という

タイトルで語られていました。

あらすじとしては

岩手県の雫石に暮らしていた八郎太郎という狩人が、

友人二人と山に入った折に

炊事当番になった八郎が、

十和田湖の3匹のイワナを串焼きにして

友の帰りを待っていたけれども空腹に耐えきれず

とうとう全部食べてしまったところ

のどが焼け付くように渇いてきて、

谷川に飛び込み水をがぶ飲みしているうちに

いつの間にか八つの頭を持つ龍に姿が変わってしまい、

水を求めてとうとう十和田湖にたどりつき

そこで暮らすようになったという

典型的な龍神伝説でした。

ところがある日、

熊野で修業したという

旅の高僧、南祖坊(なんそぼう)という、

強力な呪詛力をもった坊さんがあらわれ、

「百足の草鞋(わらじ)の破れたところに住むべし」

という夢のお告げを得て、全国修行の旅していたところ、

ここ十和田の土地で百足目の草鞋が

尽きたので、この場所に居を構えることに決め

八郎太郎の姿を変えた龍を呪文の力で追い出しにかかり

とうとう湖を追い出された八郎太郎の龍は

秋田の男鹿の浜に逃げ込み、

浜を湖に変えてそこで暮らすことになったという

東北地方ならではの続きの話があります。

 

 

休屋(やすみや)という地区から、散策道があるので

御前ヶ浜を湖に沿って “乙女の像” へ向かう途中には

「開運の小道(こみち)」と名付けられた

場所があります。

 

十和田湖は、大昔の火山の噴火により

形成された二重カルデラ湖です。

活発だった火山活動により流れ出た溶岩からガスが噴出して

その時に出来た穴をそれぞれ 神が宿った“祠(ほこら)” として

古くから

お祀りしているのだそうです。

 

この通りには全部で6つの神さまが祀られ

昔から “この穴には神が宿る” と信じられてきたそうです。

最近では、十和田神社・占場と並ぶ人気急上昇中の

強力なパワースポットだそうです。

 

歩いていると

確かに、岩肌にポッコリと空いた洞窟のような穴が

見えます。そこにはしめ縄が張られています。

 

それぞれの場所前に、何の神様かという名札が立っています。

道行く人は、みなそれぞれの祠の前に立ち、

手を合わせていましたので、管理人もそれに倣いました。

 

「風の神」「山の神」「火の神」「日の神」「天の岩戸」

それに

「金の神」

が祀られています。

 

これは

 

 

金運アップ間違いなし???

 

 

なんて、

 

 

 

 

実は

金の神は 鉱山業・製鉄を司る神様なのです。

 

 

最近では読んで字のままに、お金の神様だと

考える人が多くなったそうで

ここのところだけは、なぜか人が列を作りがち。

しかも

意外や意外。高額な宝くじに当選すると信じている人も

多いそうです

 

というわけで

管理人もちょっとお賽銭を弾んで、お参りしてまいりました

 

道中尋ねた、奥入瀬渓谷の渓流もすがすがしいですよ

奥入瀬渓流を歩く

 

いくぜ!東北 星野リゾート「青森屋」で祭りと地酒に満たされる

いくぜ!東北 星野リゾート「奥入瀬渓流ホテル」で渓流を眺めながら遅めの朝食

鎌倉散策を兼ねて銭洗弁財天宇賀福神社に御参りしてきました。

鎌倉散歩を兼ねて、いつもお参りさせていただいている

銭洗弁財天宇賀福神社にお参りに行ってきました。
(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)

こちらは

神奈川県鎌倉市佐助にある神社で

関東地方では、単に「銭洗弁天」でも

通じるくらい知れ渡っています。

 

目的は、やはり湧き出る霊水で持参したお金(紙幣も)

を洗わしていただき、福縁が授かりますように

金運上昇をお願いすることでした。

 

せっかくですから、霊水で清めたお金が福銭となって

他のお金を引き寄せ、どんどん回っていくことで

金運があがることをイメージするといいと思います。

 

まずは湧水のある奥宮(洞窟)前の本社へお参りしてから

お金を洗います。

以前は、霊水で洗い清めたお金を財布の中に

入れたまま使わないようにして、

そこに他のお金を引き寄せようとしたのですが、

あるとき、お金が回るようにむしろ積極的に

使ったほうがいいとアドバイスを受けたことがあり

それからはそうしています。

効果のほどは、ご想像にお任せいたします。

 

ただ、自分は500円玉ができてからは、洗い清めたあとも

必ず1枚だけは福銭のタネ銭としてお財布にのこして

次のお参りの時に、お賽銭として収めさせていただいています。

これは、自分流の金運上昇のおまじないです。

鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社で銭洗い

 

こういった、金運・財運上昇を祈念する場合は

できるだけ毎月、あるいは毎年でもいいですが

定期的に通って、

●前回の御礼に参りました

●きょうもお参りできたことを感謝しております

●ご祭神のいやますのご発展をお祈り申し上げます

 

というように心のなかで唱えています。

銭洗いをするだけでも金運上昇を祈念している行為なわけですから

金運上昇お願いいたしますなどと、あえてお願いごとは

しないのが、自分流の参拝作法です。

 

境内のお茶屋さんによって、軽くビールをいただきました。

簡単な食事もとれて、レトロなところもいい気分。

 

店内には白蛇の写真が飾ってありました。

お店の方に伺うと

3匹ほどいるとのことで、からだは白く目は赤いという

姿で、もちろん神様のお使いとして大切にされているという

ことでした。

貴重なお姿をとらえたものなので、ご覧になると

いいことが起こるかもしれませんよ。

 

遠隔地の方は、駅近なコチラからの散策を

鎌倉駅東口出口徒歩約1分。鎌倉巡りに近くて便利

神社所在地住所  〒248-0017
 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16

二荒山神社に参拝しながら日光東照宮にも行ってきました。
人が神になり守護するパワースポット

二荒山神社に参拝しながら

日光東照宮にも行ってきました

 

日光東照宮にはご存知のように徳川家康が祀られています。

徳川家康は、1616年(元和2年)4月17日駿府城(いまの静岡県静岡市)で

75歳でなくなり、直ちに久能山に神葬されました。

 

徳川家康自身の遺言によって

一年後の1617年(元和3年)4月15日に遺骸は久能山から日光に移されました。

正遷宮という儀式は、その年の4月17日、二代将軍秀忠公をはじめ

公武参列のもと厳粛に行われ、東照社として鎮座することになりました。

 

1645年(正保2年)には宮号を賜ることになり、

東照宮と呼ばれるようになりました。

 

現在の主な社殿は、三代将軍徳川家光によって

1636年(寛永13年)に造替されたそうです

 

 

徳川家康は死の2週間前に次のように遺言したと

言い伝えられています。

 

「私が死んだら、まず、久能山に納め、神として祭るように。

葬式は増上寺で行い、三河の大樹寺に位牌を立てよ。

一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて勧進せよ。

関八州の鎮守となろう。」

 

先に天下統一を果たした

豊臣秀吉も死後は、京都の豊国神社に神として祀られ、

民衆に崇められていたので、徳川家康にも同じ思いがあったに違いありません。

 

また、知恵のあった家康は自分の死後、

将軍徳川秀忠の先祖は神様だと位置づけることで、

秀忠の地位を不動のものにするという策略を用いたのだと思われます。

 

中国には北極星を皇帝が天と交流するための

祭祀施設があり、

北極星こそ宇宙の中心であり、天帝とされ

その北極星をいただくものは天帝に選ばれしものという思想が伝わってきていたようです。

そのためか、

日光東照宮も北極星の位置を考えて作られたようです。

 

 こちらは唐門

日光東照宮唐門

 

夜に日光東照宮に行って陽明門を見ると

ちょうど正面の真上に北極星が位置するそうです。

陰陽道の強い影響を受けて、日光東照宮は、

本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を

中心に結んだ上空に北極星が位置するように設計されているといいます。

 

自らが、死後は神となり、徳川幕府の安泰と日本の平和を

いつまでも守り続けるという思想が家康の中に

あったのは間違いないと思われます。

 

これはつまり

駿府城の北に位置する久能山

江戸城の北に位置する日光

そして、久能山と日光を結ぶ線上に霊峰富士山があり

富士=不死の山を超えれば永遠のものがあるという信仰

そのものではなかったかともいえます。

その他にも、東照宮には霊的な対策と

いうものが随所に見受けられます。

 

有名なところでは

観光ガイドさんがよくとりあげる

「魔除けの逆(さか)柱」

がありますね。

 

色鮮やかな陽明門をくぐり抜けるの柱。

正面に4本。中央部に4本。背面に4本の柱があります。

この柱が、ひとつだけ彫刻の向きが異なっています。

柱の模様はグリ紋と呼ばれる渦巻き模様の彫刻です。

(背面柱の右から4つ目の柱の渦巻模様に注目)

 

「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承があるので

あえて「未完成」なものにして建物が長持ちするよう

に願ってそのようにしたというのが通説です。

 

人間が神になって日本を守るという

その壮大な計画の完成図としての日光東照宮。

パワースポットそのものだと言えましょう。